ダイイチデンシ株式会社 代表取締役 中小路通


若い時に自分のやりたいことに気付く人は幸せだろう。
イチローに、中田英寿、安室奈美恵。
同年代の天才の活躍は、眩し過ぎて見えない。

私はというと、ぱっとしない学生時代を過ごし、
特に目標もなく、就職氷河期から広告代理店に滑り込み、
5年後、父の創業した会社「第一電子株式会社」が経営危機になり、
完全に私の権限に移譲することを条件に、あとを継いだ。

代表取締役社長。
創業者であった父名義の借金は、全て私の名義に書き換えられた。
まぁ大変そうだが、大丈夫だろう。社長と呼ばれるのも悪くない、なんて。

間違っていた。
それからは日々資金繰りに追われ、
時には夜中にガバっと目が覚め、お金のことばかり考える羽目になる。
気が付けば17年目。

税理士にはこのままでは一年で潰れそうと言われた逆境からのスタート、
持ち前の技術力と、私の広告代理店仕込みの広報活動もあり、
3年で、なんとか赤字は脱出した。

しかし、働けど働けど、
納期も価格も厳しいまま。
ムリゲーという名の下請け町工場。

そんな中、2008年に転機が訪れる。
時の首相の麻生太郎は「100年に一度の不況」が来たという。
リーマンショックがやってきた。

それまで父の借金を返した銀行の返済枠に加え、
麻生政権がすぐに出した特別融資枠、
それらを最大に使い、銀行から金を借りまくってしのぐ。

毎日、頑張ってやって持ちこたえてきたのに、
何故に私のターンに100年に一度の不況が来るのか、
もちろん、答えはない。
しかし、赤紙で招集された人よりはマシだろう。頑張るしかない。

明けて2009年。
従来の下請け仕事が7割近く無くなっていた。
愛想をつかし、出て行くスタッフ。
あと一手で詰みそうな町工場。

コーヒーの事業を始めたのはそんな10年前。
大阪のコーヒー生豆の専門商社、
「日本珈琲貿易株式会社」さんとの出会いを経て、
自動コーヒー焙煎機の開発、製造に踏み切った。

そのマシンの名前はNOVO MARKⅡ。
震災の年にも続いた経営危機を越えて、
完成したのは2012年。

コンセプトは、
「どどどど素人でもポチッと焙煎できる」
そんな自動の珈琲焙煎機。

焙煎といえば10年でやっと一人前の職人技。
それを、誰でもできると言い切った。
可能にしたのは、創業から下請けで培ってきた、自動制御の技術。
そして店頭で魅せる焙煎機。

焙煎機といわれてもピンとこないね、という頃、
まずは広報・営業活動をとホームページを立ち上げる。

「本当に私でも焙煎できるんでしょうか?」

脱サラをされて珈琲専門店を始めたい、
そんな大阪のご夫婦のお問い合わせからすべては始まった。

その後、何組かのご夫婦の新しい開店に立ち会うことになる。

そのうち、

「こんな面白いマシン、初めてみました。」

安曇野のフレンチのオーナーシェフ、
福岡のクワガタ屋さんのオーナー、
盛岡のイタリアンのオーナー、
銀座のシンガポールレストランのマネージャー、
某巨大珈琲会社の研究員さん、
八王子のエスニック雑貨のカリスマオーナー。

見たことないと尻込みする方がほとんどの中、
見たことない、これいい!
と京都のショールームまで遠くから来ていただき、
そして一目見て決めていただいた。

そんな所謂イノベーションに敏感なオーナーさんは、
面白い方ばかりであった。話をするうちに次第にこちらも楽しくなる。

お問い合わせいただいた、
ひとりひとりのお客様と心より向き合えた気がする。

それは自慢の自社製品の売り込みができるという喜びと、
ギリギリの低空飛行をしている緊張感。

そんな中、全く実績もない、見たこともない、そんなマシンを信頼いただき、
自分の新しいお店に導入いただいたときは、本当に嬉しかった。
その頃に導入いただいたお客様のお顔、おそらく一生忘れないだろう。

そして2014年。
まさかの空前のコーヒーブーム、サードウェーブがアメリカからやってきた。

いつの間にか話題の中心。
マスコミの取材も増えて、ある時は30分の弊社だけの特集番組も。

そこからは熱狂の日々。
思ってもみなかったお客様にも導入いただいた。
それは日本にとどまらず、香港やジャカルタ、上海にも。

しかし、私たちはひとつひとつのお客様と向き合うことしかやり方を知らない。
心血を注いだ自社製品を、ただのブームで終わらせるわけにはいかない。

新しいメンバーを増やして、製造やメンテナンス体制を固めながら、
ひとつひとつを丁寧に作り、お買い上げいただくお客様に万全の体制でご案内したい。

そんな思いから、営業活動はストップ、
そして東京にショールームを開設し、
ショールームと展示会での広報活動のみ、
お問い合わせいただいた方のみへのご案内。
その代わりひとつひとつに丁寧にお応えする販売とさせていただいた。

私たちの社是は「テクノロジーで、おもてなし。」
そこを崩すと、全てが崩れてしまう気がして。

今もホームページのお問い合わせ、ご紹介、展示会のみの販売チャネルで、
月に10台の製造ペースで、ご注文より二ヶ月待ちとさせていただいている。

「年間100台注文するかもしれないのに、そんな悠長な」

そんなことを何度か言われたこともある。
が、「かも話」に夢をのせるには、あまりにもリアルを見すぎていた時代が長かった。
潰れかけの会社からのスタートは、
まるで9回ノーアウト満塁から登板する、一球が命取りのリリーフ投手。

「そんな話は信用できません。本気なら100台の契約書をもらえませんか?」

身もふたもない。これは私の一生の足かせとなるだろう。
目の前のリアルなお客様と向き合うことしかできない。
そして日々こつこつと、次の課題に取り組みことだけ。

そんな今年、7周年の8月。
なんとか計250台以上の販売実績を得ることになった。

自社製品で名前が売れたこともあり、自動化のハイテク会社として、
従来のFA(ファクトリーオートメーション)分野からも注文が戻り、
今年の決算は創業53年以来、最高の売上と経常利益となった。

先日はコーヒーの本場、
ボストンとベルリンの珈琲の国際展示会にも出展し、
ホノルルに続き、バンクーバーにも導入が決まった。
今あるのは文字通り、ひとつひとつのお客様のおかげである。

そんな今年は、NOVOMARKⅡの7周年イヤー、
その一環として、7周年の感謝祭を開かせていただくことに。
その1回目は、パシフィコ横浜でのCAFERES JAPAN、
色々なオーナーさんが、私達のブースに全国各地から来ていただいた。

佐賀、愛媛、安曇野、札幌、出雲、群馬、金沢…首都圏や関西圏以外からもたくさん、
お店の営業もあられる中、寸暇を縫うように、横浜までお越しいただいた。

壁紙に記載させていただいたお写真を記念に撮影いただいたり、
オーナー様限定の抽選クジを引いていただき、
お時間あるオーナー様にはVIPシートにおかけいただいて、
いろんな積もるお話もさせていただいた。
高速バスで長時間揺られて来ていただいたなんてオーナーさまも。

本当に有り難い限りのひととき。

思い返せば、私には感謝という気持ちが、あまりなかった気がする。

特に下請け時代は、
仕事は技術があるのだから、来て当たり前、もっといい条件でよこせと文句ばかり。
居酒屋で上司の文句ばかりのサラリーマンと同じ発想。
不況で切られて、無くなって当然だ。

そんな苦しい中、自社メンバーと仲間で作った最高のマシン。
それを売れる、価値を理解いただいた時の喜び。
そんなひとつひとつを経て、
今は感謝の気持ちが自然と湧いてくるようになった。

このマシンは10年、20年もつマシンですよ、
初年度から実績もないのに、そう言って売ってきた。
まず自慢できることは、7年経つが、深刻なトラブルはただの一度もない。

先日の会場では、全国から来ていただいたNOVOオーナー様が口々に、
ブースに来られた来場された方に、「本当にいいマシンですよ」と太鼓判。

いつも展示会で、
珈琲サーブのご協力いただいている808Mountainのオーナー、
山田さんもクールに絶賛いただく。

「え?壊れないっす。4年間、なんの問題もありません。」

さらには、3年で6割は潰れるという飲食業界の中、
閉じられたお店も250店舗中、5店舗だけと少ない。
245店舗、元気に営業されている。
中古がおよそ出回らないマシン、お客様と長く笑顔でお付き合いできる。
それが私たちの誇りだ。

今後は、70種類に増えた生豆のラインナップをよりブラッシュアップし、
NOVOとのペアでより長く、他にないご商売を続けていただきたい。
そのための布石を、産地と生豆商社さんのご協力のもと、今年はどんどん打てた気がする。
来年の収穫がいつもより楽しみだ。

「たとえスターバックスが横に出来ても、むしろ儲かるお店になっていただく。」

これが私の裏コンセプトであった。
そして、それは既に実践されている。

何故なら、スターバックスのすぐ近くのNOVOのオーナーさんは、
どこも大繁盛されているから。
しかも内2店舗さんは、スターバックスが出来たのはオープンされた後にもかかわらず。

より進化した新コンセプトは、
まるで、スターバックスのように、
その店ができることで、その周りがパッと明るくなるような、
そんなお店を日本中に少しずつ、しかし着実に増やしていくこと。

1 新鮮。店頭での安定した焙煎。
2 顔の見える生産者からの、良い生豆。
3 そのお店のオーナー様の個性、オリジナリティ。

1と2は我々に任せていただき、3に心血を注いでいただく。
この3つが揃えば、
きっと、どこにもない珈琲専門店ができる。
そんな他にないお店が全国に広がっていったら。

今の導入店舗様は40都道府県。
お客様のおかげで、私は日本のほとんど全ての都道府県に行っており、
それは今も続いている。あと3都道府県で、日本の全ての都道府県に行ったことになる。

日本を巡るうち、多くの街の良さ、楽しさ、多様な文化に気づく。
それらの街が、イオンモールやセブンイレブンばかりになってしまっては、
退屈で、つまらない未来。

とても面白いことに、地方の方が、コーヒー豆はよく売れる。
あくせく時間に追われずに、
珈琲をゆっくり飲める文化が根付きやすい。

そう、コーヒーを通して、
イタリア、フランス、ドイツみたいに、今後何世代も続くような、
ローカルの面白い文化が花咲く、豊かな日々を作る、そんなお手伝いをし続けていきたい。

気づけば44歳になっていた。
ジョンレノンだったらもう死んでいる。
中田英寿にイチロー、安室奈美恵、
いつかのヒーローたちは引退して、もう第二の人生。

遅すぎるかもしれない。
しかしながら、私にも人生をかけるような熱がやっと見つかったようだ。

10年20年経っても、このロースターを買って良かったと思ってもらいたい。
そしてまた新しい機種に買い替えていただけるような、
新しい産地の豆にトライいただけるような、
そんなブランドと製品を作り続け、継承していきたい。
世界中の豊かで、多様で、ユニークな店が、長く続いていくように。
たとえ60歳からでも面白い人生が花咲く、そんなリアルをサポートし続けることを。

こんなことは発売したときから思っておくべきことだろう。
しかしこれらは、お客様のおひとりおひとりから、教えていただいたこと。

いつもお世話になり、心からありがとうございます。

7年目にやっとマイナスからゼロになった、そんな気がする。
いつかデッカいプラスにしてお返しできるよう、日々精進するしかない。


2019年8月19日