AGE of NOVO #001
東ティモール エルメラ県 レテフォホ ゴウララ
マイクロロット ウォッシュド [PDF]


東ティモールはアジアで最も新しい国。
その公用語のひとつはテトゥン語。
そのテトゥン語の国名は「ティモール ロロサエ」、
ロロサエは、太陽が昇る という意味。
RISING SUN、日出る国、
まるで聖徳太子の頃の日本のようだ。



独立前は隣国インドネシアからの圧力を超えた暴力と、
その前は宗主国でもあったポルトガルの支配に苦しめられた。
そして、独立してからはアジアで一番貧しい国のひとつ、そこからのスタート。



訪れたのは2015年、着いたディリの小さな空港には、
まともなレストランはバーガーキングのみ。
しかし、入っているのは外国人ばかり。
その周りにハンバーガーも気軽に買えない所得の東ティモールの若者たちがたむろする。
ディリのような首都でも若者の失業率は6割と聞いた。






そんな東ティモールに私を誘ったのは、現地に住み、
コーヒーの生産指導を通して東ティモールを支援する日本のNPO、
ピースウインズジャパン(以下PWJ)様。
TV「こんなところに日本人」にも出演された
同団体のNさんとOさんが空港に迎えにきてくれた。






空港近くのスーパーマーケットで食料を買い込み、
山の上の産地レテフォホまで4時間。
標高の高いのが良しとされる珈琲産地にしては都市からは近い方だ。
しかし、山頂付近は電気が通っていないところもあると聞く。

そんな場所に近づくとドンドン道幅が狭くなる。
歩いている人にぶつからないよう、私たちは徐行する。
そんな我々に、歩くひとたちは、口々に私たちに「ボンディア」(テトゥン語でおはよう)と声をかける。
ハンドルを握るNさん、そして慣れてきた私たちも「ボンディア」とかえす。
行き過ぎる車にも、笑顔で挨拶をする国。東京ではありえない。






「東ティモールは本当に、心優しい人たちばかりなんですよ。」とOさん。
「まぁ、ろくでもないのもいますけどね、はは。」というNさんをOさんはキッ!と睨む。
Oさんは東ティモールのことを心から愛しているようだ。

山の中腹に入ると、真っ赤に実ったコーヒーの農園が見えてきた。
完全に無農薬、全て手作業。国に農薬が入った歴史すらないそうだ。
まるでビーチのレオナルドデカプリオみたいな気持ちで、
私たちの目的地レテフォホに着いた。





翌朝、ゴウララ村という場所にある農園にいくと、
テンガロンハットをかぶったそこの農園主、
ドミンゴスさんが迎えてくれる。



とてもフレンドリーで情熱的。
「良かったら一緒にコーヒーの豆を取らないか?」
赤くなった実を選んで採ること1時間。





1時間ですっかり飽きた私がドミンゴスさんの家に戻ると、
テーブルには東ティモールの料理がずらり。
そしてコーヒー。「さぁ客人から食べてくれ!」と笑顔のドミンゴス氏。






そして、昼からは一緒に珈琲豆の手選別、パルピング。
日本から同行してきた私の友人は、
早々に飽きた私の横でいつまでも木製の脱肉機を回す。
全員が楽しそう。






この人たちとずっと商売がしたい、
そう思ったのは、この瞬間かもしれない。


その年までは色んな農園の豆を混ぜたものをPWJさんより購入していたが、
彼、ドミンゴスさんの農園のものだけを毎年買いたくなった、そう氏に言うと、
「いいね!来年はこの木製のものを、鉄製のいいのに、ウチも買うよ」とのこと。
じゃあ、そうしたいとPWJさんにお願いすると、
「わかりました。彼の作るものなら大丈夫、毎年、全量を買ってくださいね」と。


「毎年、いいコーヒーを作るよう、頑張るよ」
帰るときは、老若男女、家族全員で、うるるん滞在記のように見送ってくれた。
ディリまでの復路も、通り過ぎる知らない人たちが「ボンディア」と声をかける。






2020年。私は新しく立ち上げたスペシャルティコーヒーブランド「AGE of NOVO」シリーズ第一弾として、ドミンゴス氏の珈琲を真っ先にあげた。

そしてそのコーヒーに名前をつける。「GOULALA (ゴウララ)」と。

それは、2015年から毎年美味しくなっている、日出る国のスペシャルティコーヒー。私たちダイイチデンシとPWJさん、農園主ドミンゴス一家の信頼関係の結晶。「GOULALA」、それは信頼する彼の、ゴウララ村の豆を毎年待っている、という私たちのメッセージである。

文 中小路通(ダイイチデンシInc)



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