兵庫県西宮市に「苦楽園」という場所がある。
高級住宅街。
以前、私の友人が珈琲豆店を開いた街の名前だ。

弊社も焙煎機のレンタルという形で出資し、
最初の3か月は時折、店頭でお手伝いもした。
その後は、友人の好意もあり、
ショールーム代わりにもさせてもらった。

だからその街のことはよく知っている。

狭いエリア内に、5つ6つ珈琲の自家焙煎店があり、
街の中心には広々とした上島珈琲店。
それほど多くない人通りなのに、
住むのは目や舌の肥えたハイソサエティかつ、
コンサバな人々。
 
苦楽園の上にも三年。
 
3 年ほど懸命に営業されて、
ここ、ちょっとやってられまへんわと、
京都に移転された。

 
「苦楽園でカフェ&ロースターやりたいんです」

そんなお問い合わせをいただいたのは、
それから1年ちょっと。

「あ、辞めた方がいいですよ。」

「え?何でですか」とは先方。

たしかに、焙煎機を購入したいという方のお問い合わせで、
店の場所まで決められているなら、
すんなり、お買い上げいただくのが焙煎機屋の務めだろう。

しかし、人生の様々な局面、
正直すぎて馬鹿を見てきた私は、
まだ懲りてはいなかった。

「いや、前にウチの焙煎機使ってやられてた友人が、
 あそこで、超絶にすべってたんで」

「し、正直な方ですね…
 でも私、もう二階の良い物件見つけたので、
 そこで貴社の焙煎機をいれて、やろうと思っているんです。」

「苦楽園で、二階?
 それはもう二階から目薬です。
 絶対、辞めた方がいいですよ。」

しかし、
辛抱強く説明いただいた、オーナーの大川さんのおかげで、
「そこまで言われるなら」と、私も引き下がる。

大川さんは苦楽園のある西宮出身で、
しかも別の飲食店のオーナー。
落ち着かれたお話しぶりをお聞きしながら、あの場所で、
いったいどんな勝算をお持ちなのか、興味をもってしまった。

そして、やられるからには、
私も二度も同じ結果は見ていられない。

「わかりました、ではまずお店の下見させてください。
 リベンジっす!」

急に燃え出した私が向かったのは、阪急「苦楽園口」駅前。
移転された珈琲豆店のすぐ隣のビルの二階。

たまに行ってた、うどん屋の上。

広々とした空間に、20―30席はいけるとは大川さん。
なるほど、 こういう憩いのカフェスペースは、
駅前付近にあまりない。
(スタバもドトールもタリーズも、マックすらない)

しかし、二階まで上がってきてくれるだろうか?

隣の二階のインドカレー屋はたぶん、いまも閑古鳥。
一抹の不安を残した私をよそに、焙煎機をご発注いただいた。
納品は、工事のあがる2か月後。

(2か月後)

納品日、苦楽園に再訪した私は度肝を抜かれることになる。

めちゃめちゃ目立っているではないか。
下のうどん屋もびっくりだろう。

入ろうとすると、店名とロゴが仕上がっていた。
「Billy’s Cup Coffee & Roaster」
うん、カッコいい。
これは間違いなく、二階でも、入りたくなる店だ。

入ると超オシャレな店内。

苦楽園とか何とかはもう関係ない。
これはどこにもない店のひとつになる。

30分ほどで、そそくさと焙煎機をつなぎ、
スイッチオン!完璧な絵が仕上がった。

「これは、2階でもめちゃくちゃ人が来そうですね!」と、
2階から目薬とか言ってたのを、完全に忘れている。

「はい、実は2階は、鳥貴族から発想を得まして、
 1階より随分家賃の安い店舗でも、
 駅前で看板をドン!と2階の目線に出せば、
 それはかなり目立つんですよ。」

と大川さん、さすがプロだ。

珈琲へのこだわりの強い大川さんは他にも
EK43 の最新モデルのグラインダー、
そして、ボイラーも弊社からご注文いただいた。
燦然とEKが輝く。その向こうに、店の名前。

Billy’s Cup Coffee & Roaster

Billyとは大川さんの空想の珈琲の師匠だといわれる。
よくわからないが、炸裂している。センス抜群だ。

しばらくするとアルバイトの人が2 人来た。
一人は書類を届けに、
もう一人は何か楽しいから来たとかそんな理由。

なんだか大学のサークルみたい。
大川さん交えて、わいわい楽しそうだ。
ひとりは帰国子女の19歳でひときわ目立っている。
バトルロワイヤルで柴咲コウを見つけたときみたいな感じ。

「ここ、こうしたら、もっと良くならない?」
「あ、この壁、○○ちゃんに絵描いてもらったら、かっこよくなるよね」
「〇〇ちゃん、もっと明るい顔したら、もっと最高だよ」
「この焙煎機、超サイコーですよね!」 と、
バイトさん同士でお店についての会話が弾んでいる。

アルバイトとは時間を切り売りするのではない、
思いっきり楽しむものである。
そんな無邪気なメンバーと一緒に店づくりをしている大川さん、すごい。
モンスター店の出現の予感を胸に、納品を終えた。

そして開店日にお伺いすると、案の定、そこは満員の店内。

焙煎機の後ろにはキッズコーナー。
たしかに、周囲が熱くならない、
世界でも一番安全な焙煎機とは思うが、
見たことがない。
焙煎機の近くで子供が遊んでいるなんて。

次にお伺いした時も、満員。
そして、満員で入れなかった子供が、店の前で泣いている。
「他はいやだ!この店じゃなきゃダメだ!」
きっとキッズコーナーの常連なのだろう。

そして今回、取材させてもらうにあたって、訪問時間を考えた。

月曜日の夕方4時、いっぱいでなさそうな時間帯。
ちょうどお伺いするときに3名帰られて、
つかの間の無風状態ができた。

「オープンされて2 か月ですね、どうでしたか?」

「目標はお店いっぱいにお客様が来てほしいと思ってましたが、
 初日からずっとで、あっという間に達成してしまって、
 本当におかげさまです。珈琲もすごく評判なんです。
 豆を買って帰る常連さんも出来ました。」

とは大川さん。

人気の珈琲は、ペルーのシングルオリジン。
こちらはなんとアルバイトの方が、
一押しでポップまで作られた。

「ただ、土日と平日のランチ時は、ものすごいですけど、
 普段の朝と夕方はちょっと波がありますし、
 そこは次の課題ですかね」

そんなことを言ってるうちに、一人来て二人来て、
気づけば、七人八人…
たぶん、課題は解決だ。

「街の人も温かくて、こんなスタートは予想外でした。」

大川さんは他にも飲食店を経営されているプロ。
今回はそこを他のメンバーさんに任せての全力トライ。

「本当、あの焙煎機のおかげですよ、あれで始まったんです」

珈琲店をやるのは、昔からの淡い夢だったと言われる。
ただ焙煎ができないので、39歳から修業もどうかと、
半ばあきらめていたところ、ふとした時にご友人に
弊社製NOVO、自動制御の珈琲焙煎機の存在を知られて、
今回、珈琲の世界に飛び込まれた。

最近はちょっと性格が変わってきたと言われる。

昔は、数字をはじいて、
色々リサーチしてから何事も慎重にやるタイプだったのに、
今は、やってみようと思うと、すぐ動く自分がいる、と。

そういえば、先週お伺いしたときにはなかった、
今日からの新メニューが4つも。

「ランチであれだけ人が来るなら、
 もうそれにも応えようと思って」と。

こちらは女性客が8 割ぐらいとのことで、
そんな新メニューを増やされた。

「まぁ不評ならすぐ辞めたらいいですし、
 やってみて考えますよ」

「いいですね。でもなんで、性格がそう変わられたのですか?」とは私。

「なんでかなぁ、ちょっとどうしてかは、
 自分でもわかりません」

しばらく考え込まれたあと、そういえば、と話は飛んだ。

「ぼく、人生で3回、珈琲を飲んで
 超ニヤニヤしたことがあるんです。
 最初は堀江、
 2回目は仙台で…
 気持ちわるいくらい、笑っちゃったんです。
 美味しすぎて。」

「で、三回目は、
 友人にこんな焙煎機があるよと教えてもらって、
 行った北浜ポート焙煎所さん、
 そこでグアテマラの珈琲を買ってきて飲んだ時。
 めちゃめちゃニヤニヤしながら、
 これで漠然とした夢だった珈琲屋もやれる!
 そう思ったんですよね」

もしかしたら、ニヤニヤが三回になったとき、
大切なねじがはずれてしまったのかもしれない。
しかし、それもまた良しだ。
結果がものをいっている。

苦楽園での勝算は、計算や理屈ではない、
心から湧き上がったものだった。

「順調にスタート切られて、
 あぁカフェ、コーヒー屋をやってよかったなぁ、
 そう思われることってあります?」

取材の最後に、NHK「プロフェッショナル-仕事の流儀-」
みたいなことを聞いた。

「いやー、ちょっと難しい質問ですね。
 正直、いままでそんな振り返る余裕も、
 なかったかもしれません」

大川さんは正直に、わからないことは、わからないと言われる。
また、忙しい中8名いたアルバイトの子も5名に減ったようだ。
きっと楽しいだけでは超えられない、
大変な時期もあったのかもしれない。

「そうですよね、私も焙煎機を売っていて良かったなぁって、
 そういや、あまり考えたことがなかったかもです。」

「ですよね、まだまだ調子に乗らずに、もっと頑張ります!」

力強い言葉をいただき、
店を出るときには、満面の笑みをいただいた。

苦楽園口前には、コインパーキングがたくさんある。
しかし、一番安いコインパーキングは少し歩いたところ。
歩きなれた道。
そこまで歩きながら、
前に導入いただいていた店を見ると、
今は果物屋さんになっていた。
クリーニング屋さんは整体屋さんに、
アイリッシュパブに、ハンバーガー屋さんはまだ健在だ。

苦楽園にまた戻ってきた。

ふと、あまり考えてこなかった思いがよぎる。
焙煎機を売り続けてきて良かった、と。

今は、どこだって、 ウチのマシンはいけると
胸を張れる気がして。

文責・撮影 中小路通(ダイイチデンシ株式会社)
2018年11月掲載