ちょっと人生が変わった出会いだったかもしれない。

2014年の6月。
あのころは、弊社製の焙煎機、NOVOは黎明期。

生豆専門商社で、
販売パートナーでもある日本珈琲貿易さんはおろか、
自社のメンバーにまで「あれは売れない」といわれる始末。

しかし、
一部のもの好きなイノベーター的な人からのウケはよく、
他にない画期的なマシンだと、評価はあがっていた。
もちろん作った当人(私だ)は、爆発的に売れる気満々。

この温度差に
パートナー、社内の溝は爆発的に深まるばかり。

コーヒーサードウェイブの兆しはあったものの、
要するに身内からの理解も得られず、
まだそれほど販売台数は伸びていなかった。

そんな時に京都のオフィスに、香港から電話があった。
先方は日本人だった。

それは後々、
香港のディストリビューターになっていただくことにもなる、遠藤氏。
彼が香港でオープンする店、
café life の一号店に、
NOVO を導入いただいたのが最初の出会い。

要約すると、
とあるフランチャイズチェーンのコーヒーショップをやるはずが、
土壇場で交渉が決裂、しかし、
自分たちでブランドを作ってそのままカフェを始めるとのこと。

ただ、始める場所に選んだテナント施設、PMQは、
以前は香港警察の宿舎で、管理するのは香港政府。
そこでは、
PMQが新しい価値を生み出すと認めた店にしか
出店審査がおりない。

土壇場でFCチェーンへの加入を辞めて
自分達のブランドで始めるということになるので、
お前らだけで、その新しい価値が生み出せるのか、
という話になっているようだ。

そのため、色々調べて、
土壇場でネットで見られたのが弊社の焙煎機。
(当時は今ほど、焙煎機がメジャーではなく、検索すれば弊社サイトが1位であった)

これは香港にない新しい価値で、
その場で、お客さんの目の前で5分ぐらいで焙煎して、
新鮮な豆を提供することができる。
その価値を聞きたくて電話した、とのお話。

さらにお聞きすると、オープンは2週間後、
その日までにPMQに納得をしてもらうお店にするため、
何とか相談にのってもらえないか、とのお話だった。

これは面白い、
日本で浮きまくっている私は、ヒマだったのであろう。
すぐに解決すべき緊急案件だと思った私は、
3日後、香港にいた。

待ち合わせたのは、QRC(Queen’s Road Central)という、
香港のセントラルの目抜き通り。

そこに「ういーす」という感じで登場したのが、
電話をくれた遠藤氏である。

ちょっと電話口のクールな印象と違い、
あまり緊迫した状況の人に見えない、
ちょっと軽そうな人だなぁと思ったら、
見た目通り、ノリも軽かった。

そして、身のこなしも軽い。
香港の、えー!っていうような石段の道を軽々とあがっていく。

そして、カフェを開くという
PMQ内の店舗予定地に着いてみて、驚いた。
工事はまさにこれから。
カフェの内装が全然できていなかったからである。

「これ、二週間後、間に合わないですよね?」
「そうなんですよ、困っちゃいますよね」

全然困ってない顔に見える、遠藤氏。

「新しい価値を生み出すにふさわしいテナントであるという上に、
オープンに間に合わせるという条件があって。。
オープン日には、もう政府に出て行けって、いわれんじゃない?ははは。」

「やばいっすねぇ」

とニヤリと笑う、
隣には参謀っぽい風情の、遠藤さんの相棒、パティシエのテツさん。

最近までは日本で、芸能人だったようで、道理で超絶なイケメンである。
香港で新しい挑戦の真っ最中。

他、のちに有名になるデザイナーの男性に、
若くして中華料理屋さんを経営している男性など、
仲間が集まっていた。

FCチェーンのボスからは、もっと本気のスタッフをいれてやれと言われ、
仲間想いの遠藤さんは、なんでそんなことまでいわれなきゃいけないのか?
と、袂を分かつことになったようだ。

しかし、その後は、課題は山積みのようである。
しかも異国。

「でも、何とかするんでしょ、遠藤さん?」

とテツさん。

「そうだね、“なかにー”も来てくれたし、なんとかなるでしょう!」

うん?なかにー…? 中小路兄さんということか?
いつの間にか、仲間にされているようだ。
乗り込もうとする船は、多少、水が漏るボート。

しかし、感じたのは、これは良い波だということだ。
狭苦しい島国を出て、
まるで一緒に、新しい国を作ろうというように。
そしてまずは香港政府に新しい価値を見せる、というミッション。

これはいっちょやってやろうじゃないか。
何より、
そんなに売れてない焙煎機も、前金で買ってくれるし!

そして、10日後に香港にNOVOを持ってきて、
新しい価値のある店をオープンさせて
PMQのお偉いさんに見せつけることに、
その日に合意した。

これがNOVO、自社製品の初めての海外輸出になる。

軽すぎるのは、私自身もだろう。

10日後には、国境を超えての納品。
間に合わないと、出ていかされるという状況、
1日でもその遅れは致命的。
おそらく何とかなるのか?とも思わなかった気がする。
もう何がなんでも、何とかしてやろうじゃないかと。

日本に帰ると6月は決算期ということもあり、
私以外は、そこそこ忙しかった。

ただ売れ残っている焙煎機はある。
香港には独資法人もある関係で、
国際運送の業者さんもよく知っている。

中国大陸に比べて、自由な国際都市、
香港は税関での審査なども、かなりスピーディ。

また、過去には一度、
香港の国際展示会に焙煎機を出したこともあり、
電圧などの装置を香港仕様にする為のノウハウもあった。
これもラッキーであった。
香港には縁があったということだろう。

しかし、最終で問題があった。

それは納品の締め切り日が、東京での国際展示会と重なっており、
私と担当のメンバー1名が、それにかかりきりなのである。

当時はその2名だけで、焙煎機の設置や広報活動をしていた。

そして、それより前に入れるのは、
香港仕様にする部品が届かず、納期的に不可能だ。

そこで、余っていたのは、
私に愛想をつかして辞めるスタッフ。

「あのぉ… 今までありがとうございました。
 で、香港で、最後の仕事をやってみませんか?
焙煎機を香港に届けるだけの、簡単なお仕事です!」

などといって、最後の納品のお勤めをしてもらった。
今思えば感謝しかない。

納品日の翌日、はPMQオープン日であった。

東京の展示会を切り上げて、
早朝の香港エクスプレスで香港についた。

昨日に辞めた納品スタッフからの連絡は、
「とりあえずいれた」、と。

どうなっているのかよく知らない私は、
遠藤氏の底力に、度肝をぬかれることになる。

カフェは全くできていなかった。
結局、内装工事は間に合わず。

しかし、人ふたり分ぐらいのスペースだけを開放し、
そこに焙煎機を設置し、コーヒーを焙煎。

それでプレオープン。

戸外で珈琲サービスとコーヒー豆の販売、
さらにテツさんが自宅のオーブンで作ってきた、
「パンダクッキー」なるクッキーを販売。

ちょっと、文化祭的なオープンであった。

「間に合いましたよー!おかげさまで!」

とは、2週間ぶりに再会した、遠藤氏。

「これ、間に合ってます…?」

と言いかけたが、
その後ろにはPMQ、政府のお偉いさん。

「コングラチュレーション!ミスターエンドー!
 良く間に合ったね、
 この焙煎機、ブラボーだ!」

どうやら…ミッションはうまくいったようだ。

「じゃ、なかにー!珈琲いれるのいきましょう!」

どうやら、スタッフも間に合ってないようで、
私もオープニングスタッフの一員、というわけだ。

さて、PMQのオープン日。
人手もまずますで、コーヒーの反応も良い。
特に欧米人は、「何故、こんなにこのコーヒーは美味しいんだ!」
と聞きに戻ってくる人までいた。

そして気づくと、パンダクッキーが大人気。
終われば、豆もそこそこ売れて、上々のプレオープンとなった。

その一か月後に、工事がやっと終わり、グランドオープン。

本気のPMQのcafé lifeは、スイーツの魅力と、
新鮮な珈琲、ファッショナブルな内装、
遠藤氏の広報活動、人脈の広さも得て、大盛況になった。


この人はやる…!

元コンサルファームあがりなだけあり、
戦略も抜群。
戦術はけっこういきあたりばったりであるが、
何故かチームは大勝利。

その後、
色々なイベントに参加したりで縁を深めた私たちは、
香港でのディストリビューターをお願いして、
一緒に展示会に出たり、
焙煎機の販売をお願いしたりすることになる。
アジアで最も有名なコングロマリットに
販売をしたのも、こちら、左端の遠藤氏だ。

頼りになる、素敵なパートナーである。

そして、4年後、Café Life 2号店がオープン。
場所は、最初に遠藤氏と出会った、QRC。

世界一家賃が高い街の目抜き通りの超一等地に、
NOVOも今度はゆっくりと設置された。

勝っている集団には、素敵なメンバーも集まる。
そして、素晴らしいクオリティの店だ。
単なるチェーン店でおさまらなかった理由が、
ここにうかがえる。

特に、テツさんのスイーツは今や、ここ香港で最高のレベル。

中国大陸、或いは他の国からも教えてほしい、監修してほしいと、
オファーも殺到で、広州にはお店もプロデュースしたり、
北京の国営放送に出演したり、全盛期の川越シェフばりの忙しさだ。

異国で日本人のチームがここまで成功しているのは、
けっこう珍しい。
夢見てやってきて、馬鹿をみて、帰る。
もしくは、
あとからやってきた日本人をカモにして、生き延びる。
家賃も高く、目まぐるしく動く香港は、そんな街。

そして、香港はまるで、展示会のような街。
出来の良いチームは、そこで世界の注目の的だ。

弊社も例外ではなかった。

今では弊社の良いお客様である、無印良品の現会長が、
NOVOを見つけられたのは、この香港、PMQだった。

そう、弊社を取り巻く状況も、随分と良くなってきた。

リーマンショックの後遺症から、資金繰りに厳しかった当時は、
ちょっとしたミスも、命取り。
「お前、会社をつぶすきか!」などと当時はよく言っていた。
売れない自社製品をひっさげて、ピリピリしていた。

そんな私も、遠藤氏とつきあって学んだことがある。
本当に厳しい時ほど、ニヤリ笑ってみせるような余裕が、
リーダーの条件だということ。
(逆に、勝っているときには、締めるのもリーダーだろう)

「まぁ、なんとかなるんじゃない」という自信と、
周囲のメンバーが逆に遠藤さん、大丈夫?と心配するような茶目っ気。
それが、抜群の巻き込み力になっている。

遠藤さんは、縁日という香港で日本文化を発信する、
イベントもPMQで、毎年、精力的に行っている。

何度かそのイベントも手伝いにいったが、
コーヒーの手伝いかと思いきや、
気づけば、かき氷コーナーで、抹茶かき氷を作っていた時もある。

しかしそのあと、日本のテレビが取材に来て、
高田純次と一緒にNHKの番組に出たりもした。

全国放送にNOVOが出たのはあれが初めてだったろう。
巻き込まれても、そこには良い波が待っている。

そう、日本に帰った私が、
辞めかけのスタッフにまで、お願いをしたように。

私が良い回転の、巻き込みを心がけるようになったのは、
ここからかもしれない。
結果、2014年は、大きな転機となるお客さんに恵まれた。

一人で、右往左往していてもたかがしれている。
社長、リーダーの仕事は、夢を共有して、
大きな波、うねりを作り出すこと。
それにやっと気づくことができた年。

いまではNOVOはスタッフ全員が関わるプロジェクトになり、
今期は弊社の売り上げの52%が珈琲関連。
全社の売り上げは当時の倍、
今や、日本では、業務用のショップロースターでは
かなりの知名度になった。
テレビで特集された弊社の30分番組を、
家族みんなで見たというメンバーもいる。

ちょっと人生が変わった出会いだったかもしれない。

2014年7月。
無事に、Cafe life 一号店のグランドオープンが終わって、
お役御免で、PMQからの坂を下りるとき、
遠藤氏が坂の上から、見送ってくれたことがある。

大体は、人を呼びつけておいて、
「ういーっす」という感じで、すぐどこかに行く遠藤氏。

その時はどうしたのだろう?
5分ぐらい経って、坂の上を見たときに、
まだ見送ってくれていた。

大きく手を振った。

飄々としながらも、日々、大きなお金を動かし、
サバイブしているリーダー。
そんな彼が、焙煎機をオープンに間に合わせたことで、
仲間と認めてくれた気がして、嬉しい気持ちになった。
ちょっと忘れがたい1シーン。

出会いこそ、人生の宝さがしと、昔、
小室哲哉が言ってた気がする。

そして、共に勝って、
お金だけじゃない宝物、信頼を得れるのが、
人生の面白さかもしれない。

2019年1月。
またも私は香港にいた。

「あ、遠藤さん、そういや、cafe lifeの紹介記事、書いても大丈夫ですか?」

「うーす!」

秒速の貴公子は、今年も軽快だ。

文責・撮影 中小路 通 (ダイイチデンシ株式会社)
店舗写真ご協力 cafe life
2019年2月掲載