出雲大社の周りは、お蕎麦屋さんばかり。

昔流行った、桃太郎電鉄というスゴロクゲームでも、
出雲に着いたら、出雲蕎麦屋しかなかったことを思い出す。

長野の蕎麦などに比べると、こちらの蕎麦は随分と黒い。
そんな名物の出雲蕎麦。せっかくだしとランチにひとつ。

お蕎麦屋さんを出て、
目的地、大社珈琲さんに行く。
今日はお店の改装中のため、営業はお休み。

「あ、ランチは出雲蕎麦だったんですか、
 あれってどう思います?ぶっちゃけ。」

と、改装されていた大工さんが私に聞く。

「そうですね、フツーっす。」

というと、相変わらずだな、コイツはといった笑顔をいただいた。
この大工さんは、大社珈琲オーナーの弟さん。

出雲の人は少しシャイな人が多い。
仲良くなるには時間がかかる。
が、行くたびに心を開いていただける気がする。
気づけば、今回で訪問は4回目。

「姉は、正反対の性格ですね。」

そして、3か月ぶりに会うオーナーの坂根さんは、
全盛期のオードリーヘップバーンみたいな格好をされていた。

「あら、中小路さん、ようこそ〜」

私に気がつかれると、竜宮城の海藻のように、手を振ってこられた。
確かに、シャイの反対語のような人である。

「最近、ちょっとファッション変えました?」

と聞くと、

「そう、田舎でこんな人いないから、超目立つ!」

と、ニッコリ。
この辺りでは、すっかり有名人。
色んなブランドやお店を次々とオープンさせる出雲の仕掛け人。
縁結びの街ながらではの婚活パーティの主催や、
ご主人が5代目の150年続く和菓子屋「坂根屋」さんのリブランディングに、
近頃では出雲発のアクセサリーブランドまで作られた。

右も左もお蕎麦屋さんばかりの観光地でも、
既にいっぱいあるような、よくあるものには手を出されない。
他にないオンリーワンのものを始められるのが、ポイントだ。

そしてその本丸は、こちら大社珈琲。
その名の通り、出雲大社参道にある、珈琲の専門店。

今から5年以上前、
弊社がNOVOを販売しだした初期、いわば黎明期にご購入いただいた。

中国地方では、ウチが初めてなの?
 いい!店頭で目立つし。じゃあ買いますね」

そんな理由で即決されたことを思い出す。
恐らくオーナーは、当時そこまで珈琲に詳しい知識はお持ちでなかったはずだ。
深く考えるより、直感でスパン!と決められる。

その頃は「カフェまるこ」という店名の、
パンケーキが売りのカフェであった。
その中で、珈琲も本格的にいこうか、というニュアンス。

出雲大社の参道という抜群の立地。
しかし、オープンされたころは、そこまで人どおりはなかったといわれる。

始まりは7年前。
長く勤務されていた大阪の広告代理店を辞められて、地元の出雲にUターン。
これから出雲は、より観光地として栄えるだろうと確信を持たれ、
ご家族の反対を押し切って、その参道に、カフェまるこをオープンされた。

そして、そのお店の物件の下見のときに今のご主人と知り合われて、ご結婚。
故郷に帰り、自分のカフェをオープンし、結婚。
人生のなかなかない決断を、短期間にハットトリックだ。

その後、出雲大社の遷宮ブーム到来で観光客も増え、
その中でも大人気のカフェに、一言でいうと、大成功された。

そんなカフェまるこに2年半前に、転機が訪れる。
ある日、私にパンケーキを辞めて、コーヒー一本で行くとご連絡あった。

「使いながら、気づいたんだけど、中小路さんのNOVOと生豆、
 本当にものすごいじゃない、もうあれだけでいいわ」

唐突ながら、大変嬉しいお言葉、
しかし、何もめちゃくちゃ儲かっている店の
メイン(パンケーキ)を捨てる必要があるのだろうか、
エッグスンシングスがパンケーキ屋をやめるみたいな。
絶対に勿体ない!

そう言うと、

「そう、もうみんな反対してるんですよねー、でも、もう決めたんで。」

とひとこと。

そして公式に、カフェまるこから大社珈琲に名前を変えられて、
コーヒーだけでやっていくと宣言された。

それまで女性しかおられなかったメンバーも入れ替えられて、
新しく入られたアパレルご出身の男性店長さんが、仕切られるようになった。

後でお聞きすると、パンケーキには物凄い手間がかかるのに、
従来のメンバーさんは、女性が多かったため、
3年半のうちにご結婚されたり、子供が生まれたり、
坂根さん自身も三年連続で、3人ご出産されたり、
大人気ながら、とても人手が足りない毎日だったそうだ。

人気店ならではの悩み。
そこでオーナーはスパッとパンケーキを捨てる決断をされ、
その後はコーヒーメインでいくことにされたというわけだ。

「焙煎機は自動で人手はかからないし、美味しいし、
 コーヒー豆は袋に入れるだけで売れるし、
 利益率も最高、もうこれ一本!と、普通そうなりますわね。」

単純明快。

そしてその言葉通りに、コーヒーとコーヒー豆が売れまくり、
カフェまるこ時代が霞む、超人気店に。
そしてその名は「大社珈琲」とブランディング。

出雲大社の観光客はもちろん、リピーターの地元の人や、
噂を聞きつけた県外の方たちもいっぱい来るように。
出雲大社目当てでなく、大社珈琲目当てに来る方も現れだした。
反対していたひとたちも、口をあんぐりだろう。
まるでNHKの朝ドラのヒロインのようなご活躍ではないか。

久しぶりにお会いした坂根オーナーは、またも言われる。

「売上も上がったけど、
 特に利益率、パンケーキのときとは全然違う、
 本当にありがたい!」

店長の吉川さんも言われる、

「この前も、観光バスが乗り付けて、
 中国の人が店の豆を棚から全部買っていったんですよ。
 赤がお好きみたいで、赤のパッケージから無くなります。笑」

確かに、赤のパッケージは不足気味のようだ。

今回の訪問は弊社を通して、
Curtis社というアメリカのメーカーの、
セラフィムという自動ドリップマシンを購入され、その納品に立ち会った。

6月頃にご連絡が来て、
流行りすぎて、ハンドドリップする店長が腱鞘炎になっちゃいそう、
どうにかならない?とご相談。

ご招待した横浜のカフェの展示会に見に来ていただき、
Curtisの全自動ドリップマシンに一目惚れされた。

オーナーの決め手は、

「これ、日本ではまだ売れてないの?山陰初?カッコいいじゃない!」

そういえばNOVOをご購入いただいたときも同じセリフを聞いた。
取引のある弊社を通して、随分安くさせていただいたが、
エスプレッソマシンも買えるほどの高額なマシンと、グラインダー4機をスパン!と即決。

こういうと何でも買ってくれそうだが、
その辺のよくあるものには全く反応はされない。
見たことないけど、面白そう、そんなイノベーションあふれるものだけ。
人の情報は聞くが、意見は聞かない。
聞くが、聞かない。
カリスマオーナーの共通点だろう。

「人って読めないでしょ?私自身も3人も子供を産むなんて思ってもみなかった。でもこの店は、全自動の焙煎機、全自動のドリップマシン、機械が確実にやってくれて、利益もしっかり出してくれる。だから、この店をベースにして、私はさらに新しいことに挑戦もできるの。」

人手がいっぱいかかったり、材料がいっぱい余ったり、メンバーのテンション低かったり、辞めたり、しんどいのに割に全然もうからない。三年で日々に消耗して6割が辞めるのがカフェや飲食店のあるあるだ。

カフェまるこはそうではなく、ものすごくうまくいっていた。
が、人手が足りない苦しみは共通にあった。
まさにご縁の町らしく、働いておられた女性が結婚し、出産し、
オーナーさん自身も結婚し、その後、毎年子供を産まれた。

「最初はね、パンケーキの影に隠れていた焙煎機が、
まさかこんな凄い力を持っているなんて、もうご縁としかいいようがないわね」としみじみ。

美味しい珈琲を安定して出せ、生豆から焙煎することで、利益率も高い。
それに、経営されながら気づかれた。
そして、コーヒーをじっくり学びたいという、
店長の吉川さんと出会い、大社珈琲が始まった。

「田舎であんなセンスある人、なかなかいないのよ、これも縁ね。」
と坂根さん。

たしかに、吉川さんが来られてから、
お店がよりスタイリッシュに、オリジナル商品まで作られた。
そして、いただくコーヒーのご質問も、より高度になっている。

「大社珈琲は、出雲のここにしかない、
独自のブランドとして長く続けていきたいの。」

こちらのお店では、素材をケチられない、
美味しさ重視のスペシャルティコーヒーを、焼きたてで。
それを出雲大社の参道で、自信満々に、楽しそうに出されている。
それは観光客から小銭を巻き上げる店ではない。

愛する地元で、店舗を増やさずに、ずっと大社近くで、新しい挑戦を続けたい。
そう力強く宣言された。今後のビジョンも単純明快だ。

最近の坂根さんは、地元でのあまりの躍進ぶりに、島根県からの仕事や講演依頼も多い。
出雲といえば、縁結びということで、これも県の依頼で婚活事業もされており、
来年には出版もされるそう。三児の母とは思えないバイタリティ。

保守的な山陰地方、こんな目立つパワフルな方は、
出雲ではきっと浮いておられるだろう。

カフェまるこの時も、大社珈琲の時も
家族や、仲間全員に反対されたと言われた、
自分の信じる道を行く、そんな強さはどこから来るのだろうか。

ちょっと聞いてみた。

「え?もし間違っていたら、引き返したらいいじゃない。
間違っていたとわかるだけでも、一歩前進。
チャレンジあるのみよ!」

挑戦なくしては例え創業150年の和菓子屋さんでも無くなってしまう、
坂根さんはそのことを本能で知っておられるのだろう。
何もしないリスクほど怖いものはない、と。
愛する故郷をシャッター通りにしてなるものか。

じゃあそろそろ帰ります、というと、3児の母、めちゃくちゃ忙しい筈なのに、
空港行きのバス停まで送っていただいた。
バス停で、バスが来るまでの15分、将来の話が尽きない。

思えば私達ダイイチデンシも、この7年、常に挑戦あるのみであった。
時にそんなお客様と共鳴しあって、
宝物のような言葉をいただけることがある。

「5年経ったけど、中小路さんのNOVO、買って本当によかったわ。」

ひとりバスに揺られながら、嬉しい気持ちでいっぱいになる。
次にお会いした時も、話は尽きないように、
私達も、挑戦あるのみだ。


写真・文責 中小路通(ダイイチデンシ株式会社)
2019年10月掲載